合宿免許の真相
森は、「学政ノ目的」は「専ラ国家ノ為メ」だいい、小学校から帝国大学までの「諸学校ヲ通シ学政上二於テハ生徒共人ノ為メニスルニ非ズシテ国家ノ為ニスルコヲ始終記憶セザル可ラズ」とのべて、国民教育の基本が「国家のため」にあることを強調したのです。
教育のみならず、学問も国家主義に呪縛されていました。
帝国大学は「国家ノ須要二応ズル学術技芸」の教授・攻究がその日的されていたのです。(帝国大学令)
さらに帝国憲法の制定(一八八九年)につづく教育勅語(一八九〇年)の発布の後は、教育は国家主義によって強く支配され、学校は真理探求人間の育成の場ではなく、富国強兵の国是のための「国民形成」「国民道徳の形成」がその中心課題されてきました。
こうして日本の近代学校は、一八七二年の学制を起点するのですが、そのきに轟聖範を求めたヨーロッパの社会はまさに産業資本主義から独占資本主義の段階へ移行し、対外的には植民地分割へ動き出してくる帝国主義の時代であり、そのヨーロッパを一つのモデルして、それに追いつくことがわが国の近代化の具体的な内容でした。
近代化は西欧化にはかならなかったのです。
そして、モデルになったヨーロッパは、すでにのべたように、この時期は近代社会の構造転換再編期であり、教育においても近代的原則は大きく修正されて、人権しての教育の実現いうよりも、ナショナリズムによる国民統合機能能力主義的人材配分機能が学校教育の支配原理なっていくのです。
このことが日本の近代化=西欧化の内容を大きく規定しました。
ころで日本の場合には、ヨーロッパの伝統的な複線型は異なり、発足の謂棚的出鎧化当初から小学校から大学までの一元的な学校体系なっていました。
学制は、日本全体を八つの大学区に分け、それをさらに中学、小学校分け七いく構想をもっていました。
そして教育は国家のためいうよりは、むしろ一人ひとりの立身の手段して位置づけられていました。
そこには封建的な倫理観はちがって、むしろ個人の自立自由、自分で自分の生き方をえらぶ、それこそが一国独立の基礎だという発想があり、この発想の背景には、福沢諭吉などの影響がみられることも明らかです。
これらの点を考慮すれば、この制度の一定の民主的な性格は一応評価に値するのですが、しかし一元的な学校体系は、すでにのべたように、そのまま教育における民主主義を意味するものではないことも確かなことです。
それは、むしろ能力主義の制度的な表現みることができます。し、同時にその一元化された学校体系を通して、国の統制も一元的に確保できるいう「利点」をもっていたのであり、日本の教育はその意味で、発足の当初からナショナリズム能力主義によって支配されてきたみることもできるのです。
このように日本の教育は、ヨーロッパの教育がナショナリズム能力主義によって動き出すその時に、それをモデルに新たな発足をした。こに加えて、いわゆる「後発効果」(D・ドーア)も重なり、明治以来、ナショナリズムもに能力主義的志向を強くもっていたのです。
そこにはしかし、日本的特徴もまた刻印されていました。
天皇制国家のもで国民が競うべき価値は、国家目的を最高位して一元的に規準化され、官位も軍隊の階級も、天皇の距離で計られたのです。
一つの価値観のもとでの同調的競争、わかりやすくいえば忠誠競争は、戦前の政治文化の大きな特徴でした。(石田雄『日本の政治文化-同調競争』東京大学出版会、一九七〇年)
このような一元的価値のもで順番を競う風土は、貸金制度にも、たとえば紡績工場にみられるように出来高順番制いう独特の制度を生み出しました。
これは時間給でも出来高給でもなく、出来高を競争させ、その順位によって払いが決まる仕組みなのです。
出来高そのものよりも、その順番が競われたのです。
学問の世界にも似たようなことがありました。
東京帝大で哲学を講じたケーベル先生に、学生がプランからハイデッガーまでの西欧哲学者のリスを示して、「誰が一番の哲学者か」質問し、ケーベル先生を失望させたいう有名な話が残っています。
成功へ向けてのガムシャラな努力主義にも日本的特徴をみることができます。
内田義彦さんも書いています。が、この点かかわって森鴎外は重要な指摘をしています。
鴎外は、「当流比較言語学」(一九〇九年)いう小文でこうのべています。
「或る国民には或る詞が開けている。何故開けているか思って、よくよく考えて見る、それは或る感情が開けているからである」そしてまず、シュレーバー(Streber)いうドイツ語をあげています。
それは「努力家」で「勉強家」の意ですが、単なる努力家ではなく、生徒なら「一級(クラス)の上位にいよう、試験に高点を貰おう、早く卒業しょう心掛ける、其心掛が主になることがある。そうという生徒は教師の心を射るようになる。教師に迎合するようになる。昇進をしたがう官吏も同じ事である。」そして学者にも芸術家にもしきりに論文を書き、制作を出すものがいる
「学問界、芸術界に地位を得よう思って骨を折るのである
独逸人はこんな人物をStreberいうのである
」それは「嘲る意」がこめられた表現でした。
ころで、わが日本ではどうでしょう
鴎外はこうのべています。
「僕は書生をしている間に、多くのStreberを仲間に持っていたことがある
自分が教師になってからも、預かっている生徒の中にStreberのいたのを知っている
官立学校の特待生で幅を利かしている人の中には、沢山そうというのがある
官吏になってからも、僕は随分Streberのいるのを見受けた
……自分が上官になって見る、部下にStreberの多いのに驚く」
しかし、にもかかわらず、日本語にはこのStreberに正確に対応することばがない
「それは日本人がStrebe巧を卑むいう思想を有していないからである」(傍点筆者)
日本社会のガンバリ主義競争主義の弊は深いいわねばなりません
同じく鴎外の「妄想」(一九二年)いう小文には、日本の社会には学問の雰囲気が欠けており、
痛烈です。
「高圧の下に働く潜水夫のように喘ぎ苦んでいる」頑張り屋のシュレーバーたちは多いけれど、学問の世界に悠々遊ぶ真の探究者は少ないのです。
このことはまた、つぎにのべるように、日本の社会において精神の自由、学問教育の自由が抑圧されていたこ無関係ではないのです。(内田義彦『学問への散策』岩波書店、一九七四年)
天皇制国家のもでは思想・信条の自由はどのような状況にあったのでしょうか
畿摘鴨「万世二系」にして神聖不可侵の天皇によって統治されることを定めた帝国憲法は、その第二八条に信教の自由を認めてはいました。が、それは、「安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務:背カザル限二於テ」という条件がつけてありました。
しかも、「国体」の弁証にって不可欠な神道は、「宗教ニアラズ」され、そのことによって神道は実質的に国家宗教になっていたのです。
そして、その「国体」を「教育ノ淵源」する教育勅語が国民教育の中軸にすえられたのです。このことは、天皇制国家が擬似宗教国家であることを意味し、精神的価値の根源が天皇(ないし国体)に由来することを意味していました。
そしてそのことは必然的に思想・信仰・言論・教育の自由を著しく制約し、異端に対する権力的排除を正当化したのです。
「思想」が弾圧され、教育が統制され、精神が鋳型にはめられたのはファシズム下においてだけの異常なできごとではありません。
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